日本語って難しいですよね…。
いや、『日本語が難しい』といっても他の言語を知らないから比べようがなくて… それだと語弊があるから、正確に言うと『文章で人に物事を伝えるのが難しい』といった方がいいのかもしれません。
歴史から考えると、日本人ってここ数十年の間に本当は『活字離れ』をしてきたはずなんだけど、近年、メール やら ソーシャルネットワーク やらなんやらが台頭してきたせいで、再び『活字』に触れる事が多くなってきたような気がします。
かつてのように、本や新聞のような “プロフェッショナルな活字使い” が発信している情報だけではなくて、今や SNS などで “普通の一個人” が活字で多くを発信しているので、ますます『文章で人に物事を伝える』のって難しいシーンが多いなぁと思うのです。
このブログだってそう。
活字だけで物事を伝えようとすると、ちょっと語尾が違っただけで、誤解をまねくことも多いしね。
すぐ喧嘩になっちゃう。(笑)
ふと、今日頭をよぎった言葉。
みんな緑になればいいのに。
— 𝐍𝐨𝐫𝐢𝐫𝐨𝐰 𝐍𝐨𝐭𝐞🌿 (@norirow) August 15, 2012
これで考えるとすると…
1.『みんな緑になればいいのに』
これ、主張する意味はちょっと置いてくとして、これだけ聞くと、なんだかちょっと何か現状に不満で、批判的な思いが込められているようにも汲み取れます。
「〜なればいいのに。」という言い回しのせいかな。
でも…
2.『みんな緑になればいいの』
…にすると、あら、なんということでしょう。なんだか突然、女性的な柔らかい言葉に。(笑)
文末の「に」を取り除いただけなのに。不思議。
でもあれかな。この文章だと女性は女性でもちょっと高飛車な感じかな…。
3.『みんな緑になればいい』
次は文末の「の」を取り除くと、1.のパターンに近づく感じかな。
ただ、1.よりもかなり邪悪な印象も受けます。(笑)
こう比較すると、1.の文章がかなり “願望” が込められているのがわかります。
4.『みんな緑になれば』
これ、文末に『?』を付けて『みんな緑になれば?』にすると、なんか投げやりな諦めな感じです。(笑)
5.『みんな緑になれ』
こうなると完全に命令口調というか、もしくは最後の断末魔というか、決めゼリフというか…。
6.『みんな緑に』
でも、ここまで短くするとかえって可愛くなるでしょう?(笑)
完全に標語です…。もしくはドラクエ風。
…まぁ、こんな言葉遊びはこれくらいでいいんですが、こんな感じで、ちょっと語尾を間違えただけで相手に与える印象がとても変わってしまうと思うととても怖い。
いつも、ブログを書いていたり Twitter などで何か文字を打つ時はとても語尾に悩むことが多いです。
そしてよく失敗する。
きっと、「喧嘩」とかって、こんな些細なところから始まるんでしょうね。
そして、そんな些細なところから始まって、それが大きな規模になると「戦争」になる。
「争い」ってみんなイヤなはずなんだ。
みんな当然「平和」が一番いいと思っているし、それはわかっている。
…でも、出来ない。
どうやったら「平和」になるかって…。
たぶん突き詰めていけば、それは『この地球上からヒトがいなくなること』なんだとは思うけど…。
それは出来そうで出来ない。
じゃあ、それがダメなら…。
「価値観」や「想い」を全世界で共通化させることで解決できるんだろうけど…。
それは今までずっと昔から、宗教 や 哲学 や… または 芸術 や 音楽 がやろうとしてきたことだけど、それでもやっぱり統一なんて無理だ。
…じゃあ、やっぱり「平和」なんて無理なのかなぁ。
いや、本当は簡単なことなんだ。
みんなが一人一人がそれぞれが “隣の人” に優しくできれば、それが繋がり繋がって世界一周できれば「平和」にはなれるはずなんだ。
…まぁ、理想はわかっていても、それができないのが人間なんだと思うのだけれど。
でも、きっとだから面白いのかもしれないね。
「理想」があって、実現しないことはわかっていても…ただそれに向かってやり続けるんだ。
だから『夢』とか『希望』とかいう言葉があるんだ。
仮に実現してもすぐにまた振り出しに戻って、また同じ理想に立ち向かい始めるんだけど…。
何度も何度も
踏みにじられても、また「希望」をもって生きていけるのが人間の強さなのかもしれない。
だから僕らは前に進める。
…なんて。
ふと思いついた言葉から何を想い膨らませてるんだろう…。
お盆だったからかな…?(,,-_-)
でもね、とりあえずは、僕らはこのネットという新しいツールがあるんだから、ここから世界を変えていければいいなとは思います。
みんなが緑になれますように。
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