iPhone4Sを使うようになってもう2ヶ月ほどになろうとしています。
今だから言えるけど、iPhone4 から iPhone4S になったものの、実はそんなに 4 と 4S の違いを感じられていなかったというのが今までの正直な感想でした。
でも、先日から iPhone 二台持ちになって、再び iPhone4 を使うようになって始めて違いを感じれるようになりました。
フリック入力してる時に顕著に違いを感じます。
iPhone4S でフリック入力した後に iPhone4 でフリックすると、どうしても もたつきを感じずにはおれません。
文字入力のストレスは大きいですもんね。
やっぱり iPhone4S はかなり進化してるんだ。
…ただ、4 から 4S に変わった時、実際そんなことはあまり感じてなかったんですよね。
人って、ゆるやかな「進化」に対しては鈍感なのかなぁ。
逆に少しでも「退化」することについては敏感。とても過敏。
そう考えると、人ってとても欲深き生き物だなぁとつくづく感じるのです。
常に進化しておかずにはいられない生き物。
今までの歴史をみても人はずっと進化し続けてる。
二足歩行で歩き出した後、文字を使い、火を使い、電気を発明し、今の文明に辿り着いてる。
次々と魔法のような発明を繰り返しながら。
でも、人っていつも進化してなきゃいけないのでしょうか?
進化の行き着く先はどこ?
…個人的には「進化」の終着地点は「自滅」なのではないかという気がしています。
例えば……たぶん今まで発明してきた世界中の兵器を集めれば、今や世界を一瞬で滅ぼすことだって可能でしょう?
これからもどんどん進化が進んでいけば、もっともっと簡単に世界を滅ぼすことだってできるようになるはずです。
人はもうそんな力を手にしてしまった。
なんだかね、人って「自滅」の方向に進んでいるような気がしてならないのです。
それは地球や、もっと大きなものの自浄作用なのかもしれません…。
進化ってほんとにしなくちゃいけないのでしょうか?
退化したらダメなんでしょうか?
…いや、退化でもきっと人って滅びることになるんでしょうね。
でも同じ滅びの道なら退化の方がゆるやかかもしれない…。
むしろ滅びてしまった方が平和に…?
…なんて言っても、きっと「人」って前を向いてしか生きていけないようにプログラムされた生き物なんでしょうね。
良い意味にも悪い意味にも。
だから、僕らはいつも前を向いて、立ちはだかる困難に正面から立ち向かっていける。
後ろを向けない、前しか向けない欲深き生き物だとつくづく思うけれど、だからこそ「人」ってその困難に対応していける “可能性” を秘めた生き物なんだと思います。
なんだか考えれば考えるほど深みにはまっていく気がするのだけれど、でも…
「人類は不可能を可能に出来る唯一の生き物」
だからどんな混沌な世界になろうともそこでの最良の解決策を見出していける。
ぼくらはいつもどんな状況でもそこに「希望」を見出す力を持っている。
そんな特殊な能力を持った生き物が「人」。
だから生きていける。
…なんて、とても妄想的な話になってしまったけれど、なんだか iPhone4S から 再度 iPhone4 に戻った時にふと心の中に浮かんだ風景なのでした。
おわり。