匿名と実名と私。

雑記
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今日は土曜日で、そして今 大阪に向かう新幹線の中という非日常な環境なので、非日常なことでも書いてみようかなと思うわけです。
うん。やっぱこういうときに MacBook Air が活躍してくれるんだ。

さて。

最近、なんだかソーシャルネットワーク上のトラブルというか喧騒をよく目にするようになりました。
いや、今に始まった話ではないけれど…。

例えば Twitter 上での炎上に端を発し、その Twitter 上では匿名でやってるのに Facebook で実名を突き止められ素性を晒されて、あらら…なんていうケース。
うん。よくあります。

別にこういうのがいいとか悪いとかいうわけではないのだけれど、こういうケースってその「匿名」に対する覚悟が足りないんだろうなぁと思うわけです。

そもそもネット上の「匿名」ってなんなんだろう。

名前や素性を伏せて、ネット上で好き勝手言い放題で、いろんな人を傷つけてまわるためのものが「匿名」???
そんなのもはや匿名じゃないよね。もはや今のネット界ではムリだ。
あっという間に足がつく。

じゃぁ、今のネット上での「匿名」ってどういう位置づけなんだろうか。

例えば僕は “ノリロウ” という名前なんだけど、これって匿名?
僕自身は匿名だとは思っていないんだけれど、例えば仮に 「戸籍上の名前と違うのであればそれは匿名」という定義があるのだとすれば、それは甘んじて「匿名」だと受け入れます。とりあえず。

それが「匿名」だとしたときに僕が感じているのはこんな想定です。

“ 今からの世の中を変えていけるきっかけになりうるのは「匿名」だ ”

うん。
これだけ言うとなんだかすごく語弊がありそうだけど…。

世の中って、あまりにも縛られるものが多いような気がしています。
社会的環境や、属してる組織、置かれている立場、そして世の中の風潮…。
だから「思い」や「志」があっても行動に出にくいパターンも多いのだと思います。
みんなが全部ぶっ壊せる強い人ならいいんだけれど。やっぱりみんながみんなそういうわけにはいかない。

じゃぁ、どうするのか。
もし仮に「戸籍上の名前じゃない自分」だったら行動が起こせるのだったらそれでやったらいいじゃん。

もう一人の自分。
とりあえず、今の自分とは切り離したところでの自分。
今の取り巻く足かせは横に置いておいて、自由に動ける自分がそこで作ることができるんだったらそれがいい。

ただし、その新たな「名前」に責任は持たなくてはいけないけど。
それは従来の「匿名」とは違うから。それはもう一人の「本当の自分」だから。

今、この世に存在している、人間の姿形をして戸籍上に登録されている名前で普段生活しているものが、本当の自分?

うん。それも自分。
でもそれだけじゃないはず。
もっと潜在的に秘められたすごい力がみんなあるはずなんだ。
それを解放してあげたらいいんだ。
みんながちょっとずつその潜在的な力を解放してあげれたら、きっとこんな世の中なんて簡単に変えれるはず。

それを可能にできるのがネットの世界にはまだまだあるような気がしています。
今のネットの世界にはまだまだ本当にいろんな可能性が秘められている気がしてならないのです。

そこで「もう一人の自分」が活躍できる場がある。
いつもとは違った場所で人の役に立てる自分がいる。
いつもとは違った場所で必要とされる自分がいる。

人って必要とされないと生きていけない生き物だから、そこでまた生かされる自分がいる。

そうやって、そこで世の中に存在するもう一人の自分がいる。
それはある意味「作品」なのかもしれないね。

でも、それで何か事が成し遂げられるのならそれでいいと思う。
事を成し遂げるためのアプローチがその “もうひとりの自分” という「作品」なのであれば、きっと僕はその作品を作り続けるだろう。

そして、時期がくれば必要であればいつかその「作品」と「戸籍上の自分」が融合する時がくるのかもしれないとも思っています。
その時が、本当に行動を起こしている時なのかな。

ネット上にはそのアプローチを可能にする力がまだまだあると信じています。

うん。
世の中の「匿名」という定義がそういう夢あふれるものになったらいいのになと思うのです。

夢を語れる世界を作りたいね。
誰も人の夢を否定しない世界。

…なんて。
旅の途中で何書いてるんだろう。(笑)

ということで、それではまた。

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