『死生観』

雑記
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死生観

もうしばらく入院したままなのだけれど、とりあえず今回確かめたことを忘れないうちに書き留めておく。

今回の出来事で自分の信じていたことが『ウソ』じゃなかったと思って安堵した。
ただの威勢じゃなかったんだとホッとしている。

普段から「いつ死んでもいい」という考えが自分の中にはあって。

いや、それは「死にたい」とか「諦めてる」とかそういうことではなく、「別にいつ死んでもいいように毎日をそのつもりで過ごしておこう」という思念。

そう思いながら過ごしてるから「いつ死んでもいいよな」「後悔することなんてないよな」と、いつも自分にそう問いかけていたし、「そう自分は思っている」と信じていた。

『覚悟』…というほどのものではないけれど、その思念がただの威勢じゃなかったんだと、ホッとした。

「今から死ぬかも…」という状況になった時に、なんの焦りもなく「いい人生だった」と思えたことを確かめることができた。
いい体験だった。

世間に溢れている言葉で「一度きりの人生なんだから、自分の好きなことやらなきゃ」というようなものがあるけれど、僕はその言葉が嫌い。

その言葉の裏には「まだ明日や来年や三年後がある」という意識がある。
明日が来るのを当然だと思っているから「自分の好きなことやらなきゃ」という発想になる。

いやいや、明日なんて来ないから。
今日が最後なんだから、自分の好きなことなんてやってる場合じゃないよ。

「今」しかないんだったら、自分のことなんてもうどうでもよくって。
むしろ、今、隣にいる人にどれだけ喜んでもらえるかを考えた方がいいんじゃない?
今、目の前にいる人がどれだけ気持ちよくその瞬間を過ごしてもらえるかを考えた方がいいんじゃない?
自分のことなんて考えてる場合じゃないんじゃない?

そうした方が、きっとお互いみんな穏やかな気持ちで充実した毎日を過ごせると思うのだけれど。

みんながそう思って毎日過ごせたら、きっと世界は平和になると思うんだけどね。

『死ぬ』ことなんて “当たり前” で、たぶん自分がそのタイミングを知らないだけで、あらかじめその日は決まっているのだと思う。

そう考えると別に『死』は悲しむべきことでもない。
もちろん寂しくはあるけれど。
哀しむべきことではない。
ごく自然なこと。決まっていること。

恐れるものでもない。

だから「いつ死んでもいい」。

今日死ぬかもと思ったら、今自分がしていることはそれでいい?

せめて…目の前の人を最後に少しでも楽しませてあげることができたら、そんな素敵なことはなかなかないと思うんだ。

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